イエスと弟子たちが安息日に穀物の畑を通り抜けるとき、弟子たちが穂を摘んで食べます。これを見たパリサイ人たちは、安息日を破っていると非難します。イエスは、ダビデが飢えたときに神殿のパンを食べた例や、安息日に神殿で働く祭司たちが罪を犯さないことを引き合いに出し、自分は「安息日の主」であると主張します。また、安息日に片手の萎えた男を癒し、善を行うことは許されていると教えます。
イエスが群衆を癒す場面で、マタイはイザヤ書の預言を引用し、イエスが神の選ばれたしもべであり、彼の名によって異邦人が希望を持つことを示します。
イエスが悪霊に取り憑かれた盲目で口の利けない人を癒した後、パリサイ人たちはイエスが悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出していると非難します。イエスは、悪霊が悪霊を追い出すことは内部分裂を意味し、それはあり得ないと反論します。そして、聖霊に対する冒涜は赦されない罪であると警告します。
パリサイ人や律法学者がイエスにしるしを求めると、イエスは邪悪な世代にはヨナのしるし以外は与えられないと答えます。ヨナが三日三晩魚の腹にいたように、人の子も三日三晩地の中にいることを予告します。また、ニネベの人々や南の女王がこの世代を裁くことを述べます。さらに、悪霊が追い出された後に戻ってくる場合、その人の最後の状態が初めよりも悪くなることを警告します。
イエスが群衆に話しているとき、母と兄弟たちが外で会いたがります。イエスは、自分の母や兄弟は神の御心を行う者であると教え、信仰の家族の重要性を強調します。
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