天の国は十人の乙女にたとえられます。彼女たちは花婿を迎えに行くためにランプを持って出かけますが、そのうち五人は賢く、油を用意しており、五人は愚かで油を持っていません。花婿が遅れて到着すると、賢い乙女たちは油を持っていたため、花婿と共に婚宴に入りますが、愚かな乙女たちは油を買いに行っている間に門が閉ざされます。これは、イエスの再臨に備えるために常に準備していることの重要性を教えています。
天の国は、旅に出る前に僕たちにタラントを預ける主人にたとえられます。主人は、それぞれの能力に応じて、五タラント、二タラント、一タラントを与えます。五タラントと二タラントを与えられた僕たちは、それを使って利益を得ますが、一タラントを与えられた僕はそれを地中に隠してしまいます。主人が戻ってくると、利益を得た僕たちは「良い忠実な僕」と称賛され、喜びに入りますが、何も得なかった僕は「悪い怠惰な僕」として罰せられます。このたとえは、神から与えられた賜物をどのように使うかの重要性を教えています。
人の子が栄光の中に来るとき、すべての国の人々を羊と山羊に分ける羊飼いのように、彼らを右と左に分けます。右にいる「羊」には、空腹のときに食べ物を与え、渇いているときに飲み物を与え、裸のときに衣服を与えたため、天の国に入るように招かれます。一方、左にいる「山羊」には、これらの行為を行わなかったため、永遠の罰を受けることになります。このたとえは、隣人への愛と慈善の行為が最後の審判において重要であることを示しています。
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